こんにちは、あますです。
最近、自分の立場が変わりまして、今までより人と話す機会が増えてきた、というか話していかないといけないな、と思っています。
わかりやすく言うとマネージャーっぽい立場になりました。と言っても出世とか昇進といった事ではないんですが。
まあ、その事はまた改めて別記事で書きたいと思います。思いますが、その事によって人と話すという事がどれだけ大事なことか、また難しく、楽しいことか、という事を最近よく考えていて、現状で思う事を自分のために文章にしてみようと思います。
「話す」という行為は誰のためなのか?
そんな記事です。
「話す」ってどういう事?
「話す」。「喋る」とも言いかえられるでしょうか。
どちらも言葉のイメージは、あます的には、自分が思っている事を言葉にするって感じ。
ただ、会話はコミュニケーションだとすれば自分が思っている事を言葉にしているだけではコミュニケーションにはならないですよね。
キャッチボールによく例えられますけど、投げっぱなしではつまらないですよね。ボールをキャッチすることもキャッチボールの楽しみです。投げっぱなしは壁に向かって一人でやっているようなものですね。
あますが思う「話す」という行為は相手がいて成り立つ事だと言えます。独り言も話すって事じゃないの?って意見もあるでしょうけど、あます的には「独り言」と「話す」って事は違う行為です。
相手がいたとしても
目の前に、もしくは隣に誰かいて、その人と話しているつもりでも相手が受け取ってくれなかったらそれは「話す」って事にはならないってこと。「話にならない」って言葉がありますがまさにそれかも。噛み合わない。
これは自分視点ですね。相手からしたら興味の無い話を聞かされてうんざりしているのかもしれない。
そう、相手の事を考えるのが「話す」って事において実はとても重要な事なんだと思うわけです。
自分が主役ではない
相手の状態を見て、何を求めているのかを考えて言葉を選んで喋る。これが「話す」って事でしょうかね。こうやって書いてみるととても面倒くさい事をしていますね(笑)
でもきっと、話が上手い人達はそれを自然とやっているんだと思う。
話しながら相手を見る、相手の声を聞く。自分が発した言葉が相手に届いているのか?受け取ってくれているか?今の言葉を理解してくれているか?もっと分かりやすい言葉はなかったのか?
「話す」という行為は、相手の事を思って相手のためにする行為だと言えるのではないのか。
相手への言葉はその人へのプレゼントだということ。
この人と話したくないと思う人たち
- 最後までこちらの話しを聞かない人
- なんでも自分の話にしてしまう人
- いつの間にか自慢話を始める人
- カタカナ語が多い人
とりあえずこんな人達とは、あますは会話をしたくありません(笑)
なぜか?
こちらの事を見ていないから。
最後まで話さないとちゃんと伝わらない事ってあります。
こちらの事を聞いてほしい時に「自分はこうで、ああで」って相手の事を聞かされるのは苦痛です。
分かってることが当たり前みたいに話を進められるのは話が理解出来ないし、ちょっと馬鹿にされている気もします。
こういう人達とは意思の疎通が出来る気がしません。もしかしたら「それは聞き手の努力が足りない」って意見もあるかもしれないですが、お互い様ですよ。
やっぱり相手の事を気遣わないといけないです。
そう、お互い様です。
話す側として、聞いてくれている人に分かりやすい言葉で、聞きやすい声で話す事と、聞く側として、相手が何を言おうとしているのか、分からなかったら分からないって聞き返すこととか、理解しようとする努力と、どちらも大事なんですよね。
精一杯伝えようとする努力と、理解しようとする努力、どちらも大事。
あますの経験として、外国人とやり取りすると、言葉はわからないけどどうしたいかわかったり、伝えられたりする事って結構あって、言葉じゃない部分での力が大きいと思います。これはきっとお互いに本当に伝えたい、理解したいと思っているから。
言葉があるのに伝わらないのは「これ言っとけばわかるだろ」みたいな驕りと甘えですね。
で、「話す」って何?
「話す」という事は相手への「愛情」。
つまり、自分が言いたいことを言うのではなくて、相手の為にする行為である。というのが現時点でのあますの考えです。
そして、一人では決して出来ないこと、相互努力、共同作業。
誰かに話しかける時、それはその人へ伝えたいことがあるから。その人を思っての事のはず。それ自体はとても素晴らしいことですよね。(陥れようとして話しかける人はそもそもに問題があるのでね、また違う話です。)
それが伝わらない時は、話す側の選んだ言葉が良くなかったとか、タイミングとか、きっと表情とか、言葉だけではないいろんな要素が合わさって伝わらないんじゃないでしょうか?
もちろん聞き手にも問題があったのかもしれない。相手との関係性とか。
ただ、「話す」という行為がこちら主導だとしたらこちらの問題が大きいのかな。
どうしたら相手に伝わるのか、受け取ってもらえるのかを考えないといけないんだということ。
相手の事を想ってプレゼントを選ぶような、素敵な時間ですよね。
相手と向き合って話す。
うん…。
まだまだまとまらないんですが、とりあえず現時点でのあますの考えはこんな感じ。
こういう話、リアルで出来る相手がいないのでまた書きます(笑)面倒臭がられるんですよね。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。